• 朝一番の仕事を終えて幸警察署へ

    朝一番の仕事を終えて幸警察署へ運転免許証の更新へ。 その後、新宿の美容室balonで髪を切って用を済まし、川崎南税務署へ。 ケーキ屋さんでモンブランを3個買って、京急に乗り小島新田の病院に友人Kを見舞いに行った。 看護士さんの美しさにクラクラしながら、ベッドに腰掛けたKと向き合う。 K「この日本社会と融和的に生きようと思ったら、実業・ビジネスにおいて才能あるところを発揮し、自分もそれを楽しむ、というのが一番だなあ。」 僕「ああ、確かにKも僕も実業によってこそ生きて来た。また、この道は厳しく、必ずしも楽しいものだとは思えないけど、僕にとっても心安らかな故郷(ふるさと)のような感触はしばしば感じる。」 K「俺はもっとハツラツと楽しんで仕事に、そして人に当たろうと思うよ。 どうだい? この窓から差し込む暖かい日差しは? そして看護婦さんたちの美しいこと! 世界は十分素晴らしいね。 日本社会もそのままで十分楽しむのに価するものだ。」 僕「うん。心がガラッと景色を新しく見れるようになった時、僕たちは同じ社会、同じ世界に居ながら新たな希望が体の中で湧き立つのをおさえることができないね。」 K「俺はこの直観を大事にしたい。 退院したら忘れちゃうとか、日が暮れたら違う考えになっちゃうとか、衝動的な行動で無駄に浪費してしまうことがないように、何度でも何度でも思い出したい。」 僕「そうだなあ。こういう僕たちの日常の思考のよどんだ厚い雲を割って突然またたく直観を、そのまんまで胸に輝かせておくというのは一つの難事だな。 でもできるはずだ。」 K「俺がこれを忘れて、つまらない生き方に頽落(たいらく)するようなことがあったら、その時はひっぱたいてくれ!」 僕「ああ、ひっぱたいてやるとも。遠慮しないぞ。」 ハイデガーは『存在と時間』において、死を決して抑圧し、ずっと先のことだと遠ざけてしまうのではなく、むしろ常に死ぬその時に先駆けて深く向き合えと言う。 しかし僕たちにはなかなかそれができない。 まだ見ぬ自分の死と、日常において先駆けて対面すること。その時、非本来的生き方しかしていない自分の罪に直面することになると言う。 本来的生きざまから頽落してしまっている自分にありありと気づくのだと言う。 本来的生きざまとは何か? ハイデガーのこの現存在分析に対しては、「ハイデガーは現象学的方法論を徹底しえず、本来性と非本来性といった現象学では決して根拠づけられない図式を忍び込ませている」という批判もある。 Kはまだまだ退院できそうにない。